もっとなんでも書いて、もっとなんでも後悔できる。したくもないし、できそうにもないけど、それが余地だとおもう。ぼくの視力では、それは無限に広がって見える。余地は荒れているか、そこに生えた草の名、花の名、あるいは新雪を歩いていくようにまぶしい軌条を残すような歩行もあるかも知れない。なにしろ無限だから、なんでもありだろう。悩みをもてない馬鹿でよかったとおもう。まるでよくはないが、鶏頭で滑稽に胸を張るのがじぶんだから、だれにも負けないようにその時々の平面で跳躍ができる人間になりたい。ほんとうに仲良くしたいことがひとがぼくにはあるのか、いるのか、それさえもわからないと応えて、またいくらでも呆れられたりわき腹刺されたりしながら、取り返しのつかないことを生のどんづまりまで書いていきたい、いけたら、と。